<サイパン>戦時写真25枚 邦字紙アルバム米国で見つかる(毎日新聞)

 終戦前年まで日本の委任統治領だったサイパン島に3年間だけ存在した邦字紙「南洋毎日新聞社」の写真アルバムが米国で見つかった。報道写真など計25枚が台紙に張られ、戦時中の様子を生々しく伝える。島は1944年に米軍の攻撃で陥落し、日本統治時代の資料が数多く失われた。歴史研究者は「島が戦時体制にどう組み込まれていたかを知ることができ、史料的価値が高い」と話している。【真野森作】

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 サイパン島の日本人住民は沖縄県出身者が多かったため、サイパンと日本の関係史に詳しい今泉裕美子法政大教授(国際関係学)は6月23日の「沖縄慰霊の日」に沖縄県で開かれる「南洋群島帰還者会」で写真を公開し、関係者らの情報を募る予定。

 アルバムは、00年に74歳で死去した米国ペンシルベニア州のトーマス・パピ・シニアさんが所蔵していた。トーマスさんは太平洋戦争中、米海軍の上陸用舟艇部隊に所属。陥落後の島でアルバムを見つけ、保管していたとみられる。遺族は日本の知人を通じ、元の持ち主や寄贈先を捜している。

 今泉教授によると、南洋毎日新聞社は41年に設立され、サイパンの中心都市・ガラパン町に本社があった。前身は、30年創刊の南洋日日新聞(一時改題して南洋朝日新聞)。戦況を中心に、日本や島のニュースを報じていた。

 アルバムは縦24センチ、横31センチの大きさで、サイパン神社での必勝祈願祭、海でのみそぎ行事など41〜43年の写真を収録。軽便鉄道の線路や畳敷きの集会所など、日本時代の街の様子もとらえている。

 今泉教授は「サイパンでは多くの人が亡くなっており、関係者にとってもかけがえのない記録のはず」と話している。

 ◇サイパン島

 西太平洋の赤道以北に広がるミクロネシア(南洋群島)の島の一つ。現在は米国自治領。元はドイツ領で、第一次大戦後、周辺の島々と合わせて日本の委任統治領となり、南洋庁の管轄下に入った。日本統治時代は製糖業で繁栄し、料亭街まであった。南洋庁サイパン支庁の日本人住民(朝鮮、台湾出身者を含む)は41年には約5万人に上った。

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